2020年5月18日月曜日

立正大学社会福祉学部の皆さんへ   part.3


世界からも学べる BSは良いですね。


ひかりの子どもたちには、自由が保障されています。好きなことをして遊べる、何をしても良くて誰とでも遊べる。となると甘やかす、つけあがる、わがままになる、道徳は教えなくても良いのか?人としての優しさは?やはり教えて身につくものではないのか? このことは実践をしている私たちにとっても絶えず付きまとう疑問です。

しかし、卒園期になるとやっぱり私たちの保育で子どもたちは立派に育って行くのだと思えるのです。それでも確固たる科学的な実証が欲しいと思っていました。 


1歳児の給食です


BS1 人類誕生 未来編 第2集 そして人は生き残った  2020.4.23放送


物心のつかない1歳になったかならないかの子への試みです。

黄色と青の洋服を着た人形が居て、蓋を開けようとする人形を助ける黄色の人形と、邪魔をする青い人形を見せるのです。物心つかない赤ん坊はどちらを選ぶか?ふたを開ける方の人形を手元に置こうと手を伸ばすのです。青と黄色の人形を入れ替えても、やはり同じで助ける方を選ぶのです。


 なぜ、まだ教えもしないのに1歳の子は、助け合うということを身に付けているのか? 番組では、サピエンスは、力は弱いのに生き残り、屈強なネアンデルタール人は滅んでしまったのか? つまり何処を紐解くには、歴史をさかのぼると良いと古生物学者の故・井尻正二氏(野尻湖のぞうの発掘)から学んだ事がありましたが、その番組でも数万年前にさかのぼって答えを見つけていました。ネアンデルタール人は屈強さゆえにというか、仲間と助け合う能力が備わって無くて滅んでしまった。ひ弱なサピエンスは仲間と助け合わないと生きられなかったというのです。


番組の科学者、研究者たちは現代人の遺伝子の中に助け合う、仲間との社会性、思いやる心、優しさというものがすでに組み込まれているのです。と結論を導き出していました。


 私の中では、長年のテーマが解けたのでした。保育の中で子どもの優しさを随所に感じることがあるのですが、子どもたちは生まれた時から優しくて仲間思いなのだということがストンと落ちたのです。


何か見つけたのかな?


子どもをどう見るか?

鴻巣ひかり幼稚園は開園して今年で45年目になります。3歳からの入園です。3歳の保育目標は、イヤと言える子、よくおしゃべりができる子、ケンカができる子の3つです。一般的には三つ子の魂百までもということわざがありますが、3歳までの間に人として他人に迷惑をかけないようしっかり躾ようということで、どちらかというと行儀作法とか並んで待つとか我慢するとか、いわゆる大人から見て物分かりの良い、集団生活に合うように、お利口さんに育つことが良い子で良い園、そういう既成概念が根強くあるのだと思うのです。しかし、一人の人間の子どもの発達の順序を考えるとそうではなく3歳ともなると一人の人間としての人格、その人となりが確立してくる年齢だから一人の人間として尊重して一緒に育ち合いましょうと解釈した方がより良いのではないかと思うのです。そういう解釈の方がより子どもの立場に立っているのではないかと思うのです。


よほどのことをしない限り怒られない。指示命令されることは少ない。保育者との関係も対等、上下関係を押しつけるようなことはしない。安心して生活できることがまず大前提です。子どもは怒られない、威圧されない、何を言っても認められる、廊下を走っても木に登っても高いところから飛び降りても友だちとケンカをしても規則や約束事で行動は縛られない。ホームページの写真でも子どもたちの笑顔や表情の自然さや豊かさの根源は子どもたちが安心で満たされているからだと思っています。



谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう) 詩人


「かすかな光へ」

あかんぼは歯のない口でなめる

やわらかい小さな手でさわる

なめることさわることのうちに

すでに学びがひそんでいて

あかんぼはうれしそうに笑っている。

言葉より先に 文字よりも前に

波立つ心のささやかな何故?が芽ばえる

何故どうしての木は枝葉を茂らせ

花を咲かせ四方八方に根をはって

決して枯れずに実りを待つ

子どもは意味なく駆け出して

つまずきころび泣きわめく

にじむ血に誰のせいにもできぬ痛みに

すでに学びがかくれていて

子どもはけろりと泣きやんでいる

私たちは知りたがる動物だ

たとえ理由は何ひとつなくても

何の役に立たなくても知りたがり

どこまでも闇を手探りし問いつづけ

かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える

老人は五感のもたらす喜怒哀楽に学んできた

際限のない言葉の列に学んできた

変幻する万象に学んできた

そしていま 自分の無知に学んでいる

世界とおのが心の限りない広さと深さに



園庭で  これも遊びのうちです