2020年5月15日金曜日

立正大学社会福祉学部の皆さんへ  part.2



 乳幼児期の育ちが一生に関わるほど大事なのですということは以前から言われて来たことではありますが、最近になって益々その大事さが顕著になって来たと思います。

 ただ単に預かる所、安全に配慮して無事に1日を終えて親御さんにお返しする所というのでは無く、人間としての育ちや発達を学びながら、実践し、また学びを積上げながら育ち合う喜びを子どもと子どもに関わる全ての人たちと共有出来る園でありたいと思います。


ホームページの子どもたちの様子から楽しそうに笑って、好きな遊びばかりして、美味しそうに給食を食べて、好き勝手にわがまま言って保育士たちを振り回して・・・。親御さんたちの中でも我が子が羨ましい、自分が子ども時代に戻れたらこういう園に入ってみたいと言う人が少なくありません。しかし、今日のように幼いうちから様々な習い事、教え事を教え込む子育てがもてはやされているような時代に、鴻巣ひかりのような保育で本当に子どもは育って行けるのか?学校に入学して通用するのか?将来は?という声もあると思うのです。


 そこで私たちが大事にしているのは、一年一年卒園していく子どもたちからの手応えと全職員の日々の話し合いや総括会議での反省、そして人間についての研究者からの学びなのです。


最近の10年余りは教育研究者の大田 堯先生から多くの学びがありました。


大田 堯(おおた たかし)先生       1918322日生まれ

東京大学名誉教授 都留文化大学長     20181223日永眠 


大田堯先生に初めてお目にかかったのは、2009417日の大田先生のご自宅です。先生が1959年から自宅を開放して始められたサークル「子どもの眼」に参加した時でした。「大塚さんは子どもの学習権を知っていますか?」と聞かれ「知りません」と答えたのですが、「大塚さんは知らないと言っていたが、チルチンびとを読んでいたらはるかに学習権を自覚している大塚さんの実践が出ていた。その文章から子どもの学習権を自覚していることが伺える。そこが実に素晴らしいと思った。サークルのやりがいはこういう所にある。」と誉めてくださったのを忘れることはできないのです。

以後、先生は機会あるごとに私たちの拙い保育実践を高く評価して誉めてくださるのでした。私はサークルに集まる人たちの中では不真面目な生徒でしたので欠席の方がはるかに多かったのですが、参加の度に私と家内の実践が聞きたいと発言の機会を与えてくださるのでした。


 先生は、子どもは(人は)みんな違うのだ、違うけど関わり合うことで自らを変えて育っていく、そういう存在なのです。教育保育は子どもと教師との11の関係です。大勢まとめでひとくくりにする学校教育にはそもそもなじめないのが人間です。学校は西洋列国に追いつけ追い越せ、植民地化(侵略)されてしまうという事で無理やりの施策なのです。国民皆識字という成果はあったのだが、テストで分かるのは人の能力のほんの一部に過ぎません。学校では使役動詞が多いのです。させる、やらせる、指示命令、子どもの人権の事をもっと考えて欲しいですね。



自然と触れ合って遊ぶことくらい大事なことはありません。仲間と関わって遊ぶことで人間としての人格が形成されるのです。遊びは大人の介入がない方が良いです。遊びは企てる、もくろむ、たくらむのですから。


 子どもは親の所有物ではありません。親子で血は繋がっていない、胎盤で育つのだが薄い膜があって母子の血液は交わっていないし血を分けてもいないのです。遺伝子が引き継がれているのです。生きものは自ら育つ力を備えています。人間も草花や木や動物と同じで遺伝子の中に自ら育つことが組み込まれているのです。教えることも大事だが、子どもは自らその気になって自分育てをするものです。その時が来るのを待つものなのです。

大田先生を偲んで2019年4月に広島県三原市本郷にお墓参りに行ってきました。

先生の奥様の実家は本郷駅前にありましたが市に寄付をして、公設民営の本郷子ども図書館になっていました。少し離れた所に子どもの遊び場「なんじゃもんじゃ」の広場がありました。やはり子どもは自然の中で自由に仲間と遊びながら育ち合う、そういう事を実践していました。

本郷子ども図書館






私の同級生のご主人は植木屋さんという方がいまして、その植木屋さんが「なんじゃもんじゃ」の木はうちにもあるよ。というのです。値段も聞かずに即注文しました。今年の3月にその木は運ばれて来ました。体育館の南側に大きな穴を掘って植えられたのですが、窓越しに見ていた子どもたちが目ざとく穴の中に2匹の虫が居るのを見つけて大声で、「かわいそう、死んじゃう、助けて‼」と叫ぶのです。植木屋さんも声の大きさに気付いて虫を助け出してくれました。良かった良かった!

園内に植えたなんじゃもんじゃの木


今年はコロナ休みで子どもたちが白く満開に咲いたなんじゃもんじゃを見ることは無かったのですが、鴻巣にも大きななんじゃもんじゃの木があると最近知りました。勝願寺のは大木です。多くの方が訪れていました。そうしましたら私の近所にも、犬の(ノエル)散歩コースにもそれと同じくらいの大木がありました。灯台下暗しとはよく言ったものです。嬉しくなって近づいたら若いころに植えたというお爺さんが居まして話し込んでしまいました。
勝願寺のなんじゃもんじゃの木

幼稚園の近所にもなんじゃもんじゃの木が

コロナで大変でしょうが、頑張りましょう。困難な時に乗り越える力は幼児期の遊び体験でしょう。