2020年5月29日金曜日

長かったです

みなさまこんばんは。
いよいよ来週から幼稚園・保育園が再開予定です。
4月13日から続いた休園が終わります。
長かったです。
本当に長かったです。
再開は嬉しいですね~。

しかし両手をあげて喜ぶことはできません。
保育再開は嬉しいですが
緊張感を持って慎重に再開しようと思います。

子どもたちの笑顔の為に
我々が何をするべきか
今この状況の中で何ができるのか

職員全員で考えていきます。
保護者のみなさんの力も借りますのでよろしくお願いします。

来週からは脱線ブログではなく
子どもたちの様子をお伝えできると思いますので
楽しみにしててくださいね。

脱線ブログもたまには見たいなどのリクエストが
あれば時々お伝えしますね。
それではまた~。

2020年5月28日木曜日

切って切って

みなさまこんばんは。
今日の小ばなしは特にありません。
本当はブログに書けるネタがあったのですが
忘れてしまいました。
何か笑える話があったような気がするのですが、、、

なので作業の話でも

木工作業をしてました
木を切って切って
切って切って切って切って
ひたすら切って積み木を作っていました
数年前から使っている積み木ですが
少しずつ数が減ってしまいます
いったいどこにいってしまうのか、、、
たまに作り足さないとです

まだ休園中なので以前の子どもたちの写真です
こんな感じで積み木遊びをしています
いろんな形がある積み木も楽しいですが
この積み木は全部同じ形です
シンプルな物だからこそ
使い方は子どもたち次第です

こんな遊びの中で想像力が膨らむ気がします
指先を使って
体全体も使って
外遊びも大切ですが
こんな遊びも大切だと思っています
この箱が今10箱あります
もう少し増産したいと思っていますので
頑張って切り続けます
20箱ぐらい欲しいですね~
それではまた。

2020年5月27日水曜日

クローバーを引っこ抜いて

みなさまこんばんは。
保育ブログを更新できず脱線ブログの日々が続いています。
少しずつ状況は変わってきているので
あと少しだと思います。
でもそれを喜んでいいのか
どうなのか、、、
もちろん保育の再開は望んでいますが
軽はずみなことはできませんので、
しっかり慎重に考えていかないとですよね。

でも正直再開が待ち遠しいです!

さて本日のお話を

些細なことですがみんなの意見を聞きたくなることが
起きるものです。

先輩・目上の人から薦められた食べ物を断る後輩についてです。

私は薦められるとあまり好きなものではなくても
食べるべきと思ってしまいます。
何だかそれが礼儀なのかな~なんて思います。
こんな考え方は歳のせいですかね。
若い子たちには通用しないのでしょうか。
それとも私が頑固なのでしょうか。

みなさんはどう思われますか?
もっとラフに考えるべきなんでしょうかね~。

ついでですが
先輩に食事をおごってもらって目の前で残す。
このケースはどうでしょうか?
ゆとり世代だからなんでしょうかね。

食べ物が不足している環境ならこんな後輩は許さなくていいでしょうが、
現代日本では食べ物に困ることはあまりないでしょうから。
食べたいものを選んで食べられますからね。

やはり私が頑固なんでしょうかね~。


ここは田んぼ道ですが雑草だらけに
なっていました
そこを用務員さんが綺麗にしてくれました

せっかくなので駐車場からクローバーを
引っこ抜いて植えました
グランドカバーになると思って
これで雑草が生えてこなくなる予定です~


今日はここまでです。
それではまた~。


2020年5月26日火曜日

同じあやまちを

みなさまこんばんは。
この前の土曜日のことです。
外作業をしていたら何だかチクッと

違和感は感じたのですがあまり気にせず作業を
続けていたらどんどんと痒みが増してきました。

過去に毛虫の被害を受けたことがあり
その時の記憶が蘇ってきました。
強烈な痒みが続き夜も寝れなくて大変なことになりました。

また同じあやまちを繰り返してしまったのか、、、

でもそこまで酷い痒みではなかったので
違う毛虫だろうと思っていましたが、
時間が経つにつれ痒みは酷くなりました。

結局寝不足で痒みはずっと続きました。

同じ毛虫だったようです。
あの時の苦しみを忘れていたわけではないのですが
すっかり油断していました。

夜も寝れない痒みは過去の記憶だと72時間続きます。

本日の午後に72時間経過しました。
ようやく痒みは落ち着いてきましたが、
寝不足が続いたうえに
体内の抗体がフル稼働だったのでしょう。
毒素と闘ってくれていたので
体力が落ちています。
今夜は早く寝ます。

みなさんも毛虫に気をつけてくださいね。
「チャドクガ」 蛾の一種で毛虫も成虫も体毛に毒が
        あります。
        椿の木にいます。

私の被害写真がありますが閲覧注意レベルですので
控えておきますね。

それではまた。

2020年5月22日金曜日

もしかすると、、、

みなさまこんばんは。
久しぶりに遅くなってしまいました。
いまだに職員室です。
只今男性職員とお互いの好みで話し合っていました。
好みが合わず話は平行線です。
結果、好みは千差万別!人それぞれですね~。

さて今日は何をしたかと言いますと

休園中は作業が続きます
古い園舎で屋根もこんな状況です

職員がペンキ塗りしています
やればやっただけですね
凄く綺麗になりました


これは昨日のキクラゲです
お昼に茹でてもらいました
試しに食べてみたら、、、

何だか食感が違うような、、、
あまり歯ごたえがありません
もしかするとキクラゲじゃないのかも、、、

すでに何切れか食べてしまいました
職員みんなに心配されましたが
今のところ元気なので大丈夫でしょう
みなさんは真似をしないようにしてください
それではまた。
今日はここまででーす。

2020年5月21日木曜日

冬服再登場

みなさまこんばんは。
天候に振り回されている方が多いことでしょう。
今日は冬服が再登場でした。
先週は確か暑い日が続いてたので
気持ちも夏を意識するようになってきました。
それなのに昨日からのこの天気。
柔軟に対応しないとですね~。

それでは先週の暑かった日の写真がありますので、

日差しの強い暑い日に
園の畑の一角を耕しています
毎年年長さんは田んぼ作りをしています
シャベルで耕してあぜを作ります
やっぱり暑い中子どもと汗をかきながらの作業になるのです
しかしまだ休園は続いているので
今年はどうしたものかと、、、
職員たちで話し合ったようで
毎年同じことができなくても
少しでも同じようにしてあげたいとなったようです
なので休園が明けて子どもが登園できたらすぐ田植えができるように
準備だけは大人たちがしてあげようとなりました
年長担任が中心になって頑張っているところです
水をひいてあぜを固めていきます
いつもなら子どもたちも一緒になってやるのです
どんどん泥だらけになっていき遊びだす子や
汚れることを嫌がる子や
それはそれは大賑わいになる場面です
半日かけて何とかここまでできました
やっぱり子どもたちの手が欲しくなります
大人だけでは捗りません
この後は子どもたちと仕上げようと思いますので
年長たちよろしくね
毎年恒例のことができないので残念です。
しかし悔やんでばかりもいられません。
毎年恒例ができないのであれば
今年だけの特別を考えていきたいものです。
一番悲しいのは当事者の子どもたちなのですから。
そんな子どもたちの笑顔が見れるように工夫してあげることが
我々の役目だと思います。
制約は多くあるでしょうが、できる限りのことをしていきましょう。

それでは最後に

園庭の丸太にキクラゲらしきものが
これは食べられるのでしょうか
明日給食職員に聞いてみようかな
ちょうどいいトッピングになるかな~
今日はここまででーす。

2020年5月20日水曜日

よしずを張りました。

こんにちは!
昨日、今日と肌寒いですね。みなさん体調はいかがですか?
先週は、暑くて夏を感じていましたが・・・。
今日の担当は、つくし組担任岡田です。
最近は、ウオーキングに行ったり、ストレッチをして、身体を動かしています。
最初は、続けられるかなと思っていましたが、やってみると少しずつ気持ちも盛り上がってきたところです。
『継続は力なり』と言う言葉を・・・保育にも繋がっていると思います。
すぐに結果がでなくても、粘り強く、何事も諦めないことが大切と言うことを、日々子どもたちから教えてもらっています。

さてさて本題に・・・。

先週は、暑くなってきたので、園の廊下に、『よしず』をはりました。
ねぶた小屋に入ってたので、1枚1枚を広げて掃除をしてい 
             ます。



廊下に張っているところです。
             屋根の下に、竹を2本はり、その間に『よしず』を入れて
             いきます。

よしず張りは、チームワークが大切です。
最初は、なかなかうまくいかないこともありましたが、直しながら行いました。最後には、チームワークよく張ることが出来ました。

張れました!
             見るだけでも涼しさが伝わってきます。

ひかりの夏には欠かせないものです。
暑い夏を、快適に・・・お世話になります。
子どもたちがどんな反応をするか楽しみです。

2020年5月19日火曜日

立正大学社会福祉学部の皆さんへ   part.4


遊びについて              

 故・斉藤公子先生は「子どものすることには発達に関して意味があるのです。危ないからと考えなしに止めるんじゃないよ」と言うのが口癖でした。世界でも子どもの遊びについてあちこちの研究者が遊びの効能と不足している現在を憂いて提言しています。



BS1 世界のドキュメンタリー「遊びの科学」 2019129日放送

世界的に屋外で遊ぶことが少なくなったのは1980年代ビデオゲームが出てきてから。家の外は危ない、ケガをする、誘拐もある。1980年代にテレビゲームで外で遊ばなくなった世代が親になっている。外遊びの必要性を感じない世代が親になっている。



遊びが失われて・・・前頭葉皮質が十分発達しない。生きていく上で予想もしない様々な困難に直面するが対応する能力が乏しい。暴力的な衝動を抑えられない。精神的な疾患が増える。人間形成に影響を及ぼす。リスクを伴う行動こそケガを予防する。リスクをコントロールする術を身につける。より良い人間的社会をつくる基盤になる。例えば役割分担、協力し合う、譲り合うなど。民主主義社会の一員になるためのルールを身につける。遊びは将来における成功のカギになる。楽観的に物事を見たり、達成感や自信や自己を認識する力を養う。



ノルウェーとカナダの研究者が共同して、子どもの遊びを発展させて街作りをしたり、こじんまりしたものや安全性重視のものを取り去り、スリルが味わえる、危ない遊びを体系化した保育園作りをしている映像がありました。それを見ると、裸足で走り回る子や火遊びや金づちと釘とノコギリを使う、結構高い木に登ったり、等々ひかりの日常と同じようでした。

 ノルウェーの研究者の発言から・・・親の世代は自然の中で遊んでいないので、自分の子にはケガをするからさせないというのです。ケガをする子は10人に1人で少なすぎると思うのです。ワクワク、ハラハラ、ドキドキする遊びは自分の力を知る(試す)チャンスなのです。 そこで危ない遊びをしている子どもたちから話を聞くことにしました。子どもはどのように思っているのか? 

子どもはからだの反応で答えてくれた。お腹がムズムズする、心臓がドキドキする。怖くても面白い(こわおもしろい)肯定的な答えだったと言うのです。

 この子どもに聞いてみるという行為は決定的に大事だと思うのです。聞いてみても子どもの意見を採用するとなると日本では特に難しいでしょうね。



日本の保育の遊びには、先生が中心になって、計画(企画)して、構成して、設定して遊ばせるというのも遊びと言っているようです。反面、全く先生は口を出さず、子どもたちのやりたいように任せて、興味のある子たちが自然に集まって来て遊び、その中に、遊びの仲間に先生が入れてもらうというのも遊びだと思うのです。

 よく子どもたちが遊ばないという話を聞きますが、面白く無いから遊ばないのです。

子どもたちが嬉々として遊ぶ遊びってどんなものなのでしょうか?これから保育士や教師になろうとしている学生さんたちに宿題にしましょう。

学生さんたちも外で危ない遊びをしてこなかった世代ですか。

遅くはないと思います。人間が変わろうとするのに遅いという事はないのですから。

サクランボ

柿の木です
どどめです
桑の実を食べています
園庭で遊んでいます
積み木で遊んでいるところ
何か作って得意げに
遊びながら雑巾がけ
雪山合宿で遊んでいるところ

2020年5月18日月曜日

立正大学社会福祉学部の皆さんへ   part.3


世界からも学べる BSは良いですね。


ひかりの子どもたちには、自由が保障されています。好きなことをして遊べる、何をしても良くて誰とでも遊べる。となると甘やかす、つけあがる、わがままになる、道徳は教えなくても良いのか?人としての優しさは?やはり教えて身につくものではないのか? このことは実践をしている私たちにとっても絶えず付きまとう疑問です。

しかし、卒園期になるとやっぱり私たちの保育で子どもたちは立派に育って行くのだと思えるのです。それでも確固たる科学的な実証が欲しいと思っていました。 


1歳児の給食です


BS1 人類誕生 未来編 第2集 そして人は生き残った  2020.4.23放送


物心のつかない1歳になったかならないかの子への試みです。

黄色と青の洋服を着た人形が居て、蓋を開けようとする人形を助ける黄色の人形と、邪魔をする青い人形を見せるのです。物心つかない赤ん坊はどちらを選ぶか?ふたを開ける方の人形を手元に置こうと手を伸ばすのです。青と黄色の人形を入れ替えても、やはり同じで助ける方を選ぶのです。


 なぜ、まだ教えもしないのに1歳の子は、助け合うということを身に付けているのか? 番組では、サピエンスは、力は弱いのに生き残り、屈強なネアンデルタール人は滅んでしまったのか? つまり何処を紐解くには、歴史をさかのぼると良いと古生物学者の故・井尻正二氏(野尻湖のぞうの発掘)から学んだ事がありましたが、その番組でも数万年前にさかのぼって答えを見つけていました。ネアンデルタール人は屈強さゆえにというか、仲間と助け合う能力が備わって無くて滅んでしまった。ひ弱なサピエンスは仲間と助け合わないと生きられなかったというのです。


番組の科学者、研究者たちは現代人の遺伝子の中に助け合う、仲間との社会性、思いやる心、優しさというものがすでに組み込まれているのです。と結論を導き出していました。


 私の中では、長年のテーマが解けたのでした。保育の中で子どもの優しさを随所に感じることがあるのですが、子どもたちは生まれた時から優しくて仲間思いなのだということがストンと落ちたのです。


何か見つけたのかな?


子どもをどう見るか?

鴻巣ひかり幼稚園は開園して今年で45年目になります。3歳からの入園です。3歳の保育目標は、イヤと言える子、よくおしゃべりができる子、ケンカができる子の3つです。一般的には三つ子の魂百までもということわざがありますが、3歳までの間に人として他人に迷惑をかけないようしっかり躾ようということで、どちらかというと行儀作法とか並んで待つとか我慢するとか、いわゆる大人から見て物分かりの良い、集団生活に合うように、お利口さんに育つことが良い子で良い園、そういう既成概念が根強くあるのだと思うのです。しかし、一人の人間の子どもの発達の順序を考えるとそうではなく3歳ともなると一人の人間としての人格、その人となりが確立してくる年齢だから一人の人間として尊重して一緒に育ち合いましょうと解釈した方がより良いのではないかと思うのです。そういう解釈の方がより子どもの立場に立っているのではないかと思うのです。


よほどのことをしない限り怒られない。指示命令されることは少ない。保育者との関係も対等、上下関係を押しつけるようなことはしない。安心して生活できることがまず大前提です。子どもは怒られない、威圧されない、何を言っても認められる、廊下を走っても木に登っても高いところから飛び降りても友だちとケンカをしても規則や約束事で行動は縛られない。ホームページの写真でも子どもたちの笑顔や表情の自然さや豊かさの根源は子どもたちが安心で満たされているからだと思っています。



谷川俊太郎(たにかわ しゅんたろう) 詩人


「かすかな光へ」

あかんぼは歯のない口でなめる

やわらかい小さな手でさわる

なめることさわることのうちに

すでに学びがひそんでいて

あかんぼはうれしそうに笑っている。

言葉より先に 文字よりも前に

波立つ心のささやかな何故?が芽ばえる

何故どうしての木は枝葉を茂らせ

花を咲かせ四方八方に根をはって

決して枯れずに実りを待つ

子どもは意味なく駆け出して

つまずきころび泣きわめく

にじむ血に誰のせいにもできぬ痛みに

すでに学びがかくれていて

子どもはけろりと泣きやんでいる

私たちは知りたがる動物だ

たとえ理由は何ひとつなくても

何の役に立たなくても知りたがり

どこまでも闇を手探りし問いつづけ

かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える

老人は五感のもたらす喜怒哀楽に学んできた

際限のない言葉の列に学んできた

変幻する万象に学んできた

そしていま 自分の無知に学んでいる

世界とおのが心の限りない広さと深さに



園庭で  これも遊びのうちです

2020年5月16日土曜日

できました~

みなさんこんにちは。
久しぶりの雨で何だか肌寒いぐらいです。
晴れれば暑く、雨だと寒く、何だか服装が難しい時期ですね。
体調も崩さないように
みなさんも気を付けてくださいね。

それでは最近製作していた物ができましたので
紹介します。

夜な夜な作っていたのはリュックでした

近所の野球少年からの依頼で作りました
野球に使う道具を全部入れられるリュックが欲しいと言うのです
なのでバットホルダーを付けました
野球のスパイクとランニングシューズと
グローブを2.3個と
着替えとユニフォームと大きな水筒が
入るサイズで作ってくれと言うのです
なのでかなり大きくなりました
先程野球少年と言いましたが
野球中年の間違いでした
(モデルは例のトマト担当事務員です)
頼まれていたものが無事にできてよかったです。
きっと喜んでくれるでしょう。
外出自粛の日々で縫い物に熱中している方も多いようですね。
うまく出来上がると嬉しいですね~。
それではまた。

2020年5月15日金曜日

立正大学社会福祉学部の皆さんへ  part.2



 乳幼児期の育ちが一生に関わるほど大事なのですということは以前から言われて来たことではありますが、最近になって益々その大事さが顕著になって来たと思います。

 ただ単に預かる所、安全に配慮して無事に1日を終えて親御さんにお返しする所というのでは無く、人間としての育ちや発達を学びながら、実践し、また学びを積上げながら育ち合う喜びを子どもと子どもに関わる全ての人たちと共有出来る園でありたいと思います。


ホームページの子どもたちの様子から楽しそうに笑って、好きな遊びばかりして、美味しそうに給食を食べて、好き勝手にわがまま言って保育士たちを振り回して・・・。親御さんたちの中でも我が子が羨ましい、自分が子ども時代に戻れたらこういう園に入ってみたいと言う人が少なくありません。しかし、今日のように幼いうちから様々な習い事、教え事を教え込む子育てがもてはやされているような時代に、鴻巣ひかりのような保育で本当に子どもは育って行けるのか?学校に入学して通用するのか?将来は?という声もあると思うのです。


 そこで私たちが大事にしているのは、一年一年卒園していく子どもたちからの手応えと全職員の日々の話し合いや総括会議での反省、そして人間についての研究者からの学びなのです。


最近の10年余りは教育研究者の大田 堯先生から多くの学びがありました。


大田 堯(おおた たかし)先生       1918322日生まれ

東京大学名誉教授 都留文化大学長     20181223日永眠 


大田堯先生に初めてお目にかかったのは、2009417日の大田先生のご自宅です。先生が1959年から自宅を開放して始められたサークル「子どもの眼」に参加した時でした。「大塚さんは子どもの学習権を知っていますか?」と聞かれ「知りません」と答えたのですが、「大塚さんは知らないと言っていたが、チルチンびとを読んでいたらはるかに学習権を自覚している大塚さんの実践が出ていた。その文章から子どもの学習権を自覚していることが伺える。そこが実に素晴らしいと思った。サークルのやりがいはこういう所にある。」と誉めてくださったのを忘れることはできないのです。

以後、先生は機会あるごとに私たちの拙い保育実践を高く評価して誉めてくださるのでした。私はサークルに集まる人たちの中では不真面目な生徒でしたので欠席の方がはるかに多かったのですが、参加の度に私と家内の実践が聞きたいと発言の機会を与えてくださるのでした。


 先生は、子どもは(人は)みんな違うのだ、違うけど関わり合うことで自らを変えて育っていく、そういう存在なのです。教育保育は子どもと教師との11の関係です。大勢まとめでひとくくりにする学校教育にはそもそもなじめないのが人間です。学校は西洋列国に追いつけ追い越せ、植民地化(侵略)されてしまうという事で無理やりの施策なのです。国民皆識字という成果はあったのだが、テストで分かるのは人の能力のほんの一部に過ぎません。学校では使役動詞が多いのです。させる、やらせる、指示命令、子どもの人権の事をもっと考えて欲しいですね。



自然と触れ合って遊ぶことくらい大事なことはありません。仲間と関わって遊ぶことで人間としての人格が形成されるのです。遊びは大人の介入がない方が良いです。遊びは企てる、もくろむ、たくらむのですから。


 子どもは親の所有物ではありません。親子で血は繋がっていない、胎盤で育つのだが薄い膜があって母子の血液は交わっていないし血を分けてもいないのです。遺伝子が引き継がれているのです。生きものは自ら育つ力を備えています。人間も草花や木や動物と同じで遺伝子の中に自ら育つことが組み込まれているのです。教えることも大事だが、子どもは自らその気になって自分育てをするものです。その時が来るのを待つものなのです。

大田先生を偲んで2019年4月に広島県三原市本郷にお墓参りに行ってきました。

先生の奥様の実家は本郷駅前にありましたが市に寄付をして、公設民営の本郷子ども図書館になっていました。少し離れた所に子どもの遊び場「なんじゃもんじゃ」の広場がありました。やはり子どもは自然の中で自由に仲間と遊びながら育ち合う、そういう事を実践していました。

本郷子ども図書館






私の同級生のご主人は植木屋さんという方がいまして、その植木屋さんが「なんじゃもんじゃ」の木はうちにもあるよ。というのです。値段も聞かずに即注文しました。今年の3月にその木は運ばれて来ました。体育館の南側に大きな穴を掘って植えられたのですが、窓越しに見ていた子どもたちが目ざとく穴の中に2匹の虫が居るのを見つけて大声で、「かわいそう、死んじゃう、助けて‼」と叫ぶのです。植木屋さんも声の大きさに気付いて虫を助け出してくれました。良かった良かった!

園内に植えたなんじゃもんじゃの木


今年はコロナ休みで子どもたちが白く満開に咲いたなんじゃもんじゃを見ることは無かったのですが、鴻巣にも大きななんじゃもんじゃの木があると最近知りました。勝願寺のは大木です。多くの方が訪れていました。そうしましたら私の近所にも、犬の(ノエル)散歩コースにもそれと同じくらいの大木がありました。灯台下暗しとはよく言ったものです。嬉しくなって近づいたら若いころに植えたというお爺さんが居まして話し込んでしまいました。
勝願寺のなんじゃもんじゃの木

幼稚園の近所にもなんじゃもんじゃの木が

コロナで大変でしょうが、頑張りましょう。困難な時に乗り越える力は幼児期の遊び体験でしょう。

2020年5月14日木曜日

立正大学社会福祉学部の皆さんへ  part.1


非常勤講師の大塚繁夫です。私の授業は保育実践ですので、昨年までは第一時間目には、故斉藤公子先生が創案して、私たちの園でも実践しているさくら・さくらんぼ保育のリズム遊びを行っていました。しかしコロナの影響で出来ませんので、園のホームページを見て頂いて、感想や意見を筆記して頂くということにします。
800字位にまとめて大学の指定されたアドレスに送信してください。


 ホームページは2000年より始めまして、より保育の様子を分かりやすくしたいと2018年12月より「ひかりのまいにち」というコーナーを開設しました。毎日のように子どもたちの様子が分かって安心と親御さんたちからも好評です。私も昨日初めて書き込みをしてみました。


コロナ休園で限られた子たちしか登園してきていません。例年でしたら新入園の子たちを園バスに乗せて園の周りを一回りしたり、近くの公園に出かけたり、私の出番があるのですが、今のところ保育の手伝いは多くはありません。でも私の歳にしては嬉しいことに環境整備がこの時とばかりにたくさんあるのです。


園児のみんなには出来るだけ自然と触れ合う中で遊んでもらいたいという思いから、開園以来園内外に木を沢山植えてきましたが、このコロナ休みを使って軽トラで花植木センターに通いつつじを60本ほど植えました。垣根を充実させるためにです。


大阪の池田小事件の前までは全国の幼稚園・保育園は地域に開かれた園を目指して、どうぞ遊びに来てくださいというように、園内の子どもたちの様子がよく見えるように垣根(フェンス)なども低くしていたのです。園児のみんなも垣根が低ければ外を見ることで、五感と言われる乳幼児期に養いたい人間の能力の一つである視覚を磨くことが出来るのです。(視力は3歳0.5、6歳1.0であれば良いと言われています)また、視野が広がる、解放される、木々の間から吹く風が心地よい、爽やかな気分になるということは情緒に関係します。(人間の脳の4つの大事な働きは、言語・記憶・巧緻運動の制御・そして情緒と言われています)





また、6歳になると脳重はやや大人に達するので会話などしていても大人とそれほど変わらなくなります。色彩も淡い色が見分けられるようになります。卒園期には24色の水彩絵の具を喜んで使いこなしますが、木々の様々な緑、色とりどりの花たち、湿った土、乾いた土、固い土、柔らかい土の違い等々自然の遊び体験は脳に刻まれているのではないでしょうか。そのような事を考えながらつつじを植えました。

昨年度の子どもたちの描画です

卒園期の水彩画です


昨年の5月に大津市で痛ましい事故が起きました。保育園児たちが、信号待ちしている所に車が突っ込んで、幼い命が奪われてしまいました。その何日か後に砂場で遊んでいる子どもたちに車が暴走して危うかったということも起きたようです。


我が園はどうか?園地の南側は道路に面していますので、すぐ枕木を植えることを始めました。

人間の歴史でみると一万年くらい前になるのでしょうか。農耕が始まる前、狩猟採取時代の名残と言われていますが、子どもたちは木切れ、石ころ、葉っぱなどを園内のどこからか、拾ってきては自分の隠し場所に・垣根の中や隅っこなどに隠しておくことがあります。あるいは垣根の中で23人の仲良しさんと遊んでいることもあります。道路に面して太くなった木も車から子どもたちを守ってくれると思いますが、枕木も安心して遊べる場を作ってくれると思うのです。


 例年ですと子どもたちと一緒に畑作りもやっているのですが、今年は先生たちと精を出しています。ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、トウモロコシ、スイカ、カボチャ、サトイモ、小松菜、ジャガイモ、サツマイモ、ヒマワリの迷路、そして田植え。収穫には子どもたちにも参加してもらえると思うのです。


小松菜です
こちらはジャガイモです
トマトです
ヒマワリの迷路になります
トウモロコシと
奥はナスです
まだ小さいスイカです


 寄る年波には勝てぬと言いますが、腰には一抹の不安(脊柱管狭窄症)があるのです。鍬を振り上げての柵作り。重い土を動かすことは汗びっしょりになる重労働です。筋トレだと思って励むのですが子どもたちと一緒だともっと楽しく疲れも軽く出来るのですが・・・。

これから夏にかけては草との闘いです。子どもたちの口に入るのですから、無農薬、有機栽培に徹しているので出来栄えは芳しくありませんが安心して食べられます。


 土を耕すことは心を耕すことと、故斉藤公子先生から教わったことがあり、畑作りは子どもたちの心を育てるものと思って取り組み始めたのですが、やってみてわかった事は、子どもの心を耕すのではなく私の心を耕すものでした。疲れるから、暑いから、やりたくない億劫だなあ、後回しにしちゃうか、楽したいなあという自分の怠け心を戒めるものだったのです。


 私に畑作りを教えてくれる藤田さん曰く「大塚さん、朝4時に起きて畑に来て、8時には帰って朝寝するようでないと、熱中症でまいってしまいますよ。」

とてもとても。出来なかったおかげで作物より草の背丈が高くなってしまうのです。それでもジャガイモ・さといも・黒大豆などは逞しく、健気に立派な実をつけて子どもたちと一緒に収穫の喜びに浸ることが出来ました。果たして今年はどうでしょうか?

余談ですが、その人その人の持ち味というのがありまして、用務員の椚さんは小豆、黒豆を煮る名人です。懐かしがられるぼた餅は子どもたちは勿論、近所のお家、講演会の講師の先生、森は生きている、荒馬座などの催し物、あるいは会議などの差し入れ。頼むと快くサーッとこしらえてきてくれるので大いに喜ばれるし、私も自分で作ったのではないですが大いに株を上げることになります。

出来合いのものを買い、食すのが当たり前の時代に残し、伝えたい味と行為ですね。





 
昨年度の卒園記念樹です