前置きなしで突然です。
岐路に立った経験はどれほどあったことでしょう。
私は何度か立ったと思っています。
その時の状況を思い返すと
逃げ場がなくなり追い込まれたような気がします。
決して自ら進んで立ったわけではない。
そんな感覚です。
ですが逃げ場はないけど岐路ってことなので選択肢は残されていたのです。
選択肢とは自己決定できる状況ですね。
誰かに決めつけられるのは岐路と言わないのでしょう。
一つの道は遠くに自分の理想がうっすら見えるのですが苦しみは続きそう。
もう一つの道は今の苦しみから逃げて楽になれそう。
私の感覚ではこんな感じです。
どちらを選ぶか自己決定しないとでした。
振り返るとこの経験が大切だったな~って思っています。
人に決められていたら、後悔したことでしょう。
上手くいかなければ、その人のせいにしたはずです。
でも自分で決めたことって人のせいにできませんからね。
反対に人に決められて上手くいっても
喜び半分以下でしょう。
なんでこんな話になったのでしょうね。
今日はこんな話をしたい気分だったのです。
ここ最近の出来事を思い返していたら、こんな気分になりました。
だらだら書いているうちに思ったのですが
自己決定できない人は岐路に立つことができないってことでしょうか。
やっぱり「自分で決める」って凄く大切だと思います。
そろそろ子どもたちの様子でーす。
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給食の前に部屋を雑巾がけする2歳児たち |
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その部屋を手伝ってくれる年長たちです 集団生活ってこんなやりとりが大切だと思います |
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年長たちは給食後の片付けも頑張っていました |
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力を合わせて片付けます |
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一日の生活の中で役割を実感できる子どもたち |
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存在意義ってことでしょうか |
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自己中心的な感覚ではなく 誰かのためって心地良いものだと思います |
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それは次の子どもたちに伝わることでしょう |
今日はここまで。
それではまた~。