2025年11月7日金曜日

間に合ってよかった

みなさまこんばんは。
外が暗くなってから今日の写真を撮ってないことに気付きました。
私はいったい一日何をしていたのでしょう、、、。

急いでお迎えが遅い子たちの部屋に行ってみたら
まだ数人子どもたちが帰ってなかったので間に合いました。

一日の終わりに部屋の片づけをしているところでした

ほうきで掃除をしたり
雑巾がけをしていました

大人と子どもたちが一緒になって後片付けです

こちらは遊んでいた積み木の片づけです

こうやってみんなで片づけをして
一日が終わるのです
今日はここまでです。

ってところですが
ここ数ヶ月ホームページの作り直し作業をしています。
なかなか進めることができず時間ばかり過ぎているのですが
いい加減形にしないといけません。
ようやくあと少しのところまで来たところです。
そこでボツ原稿になってしまったものをちょっと紹介しちゃいますね。


ひかりでは子どもたちを急いで大人にすることはしません。

「何でも早めに、無駄なく効率的に」、大人がこのような思考になってしまうのは社会が求めているからなのでしょう。

ですが0歳児には0歳児の大切な育ちがあります。3歳児には3歳児の、5歳児も同様です。どの年齢も大切なものがあるのです。

 

0歳の赤ちゃんは泣いてばかりいても怒らません。いくら泣いていても「お腹がすいているのかな」なんて優しく声をかけてもらえるのです。

それが言葉を獲得するようになると「泣いてばかりいないで何とか言いなさい」と𠮟られたりするのです。我々大人は言葉でコミュニケーションを取れる相手に対して対等性を感じてしまうようです。ですが幼児はまだまだ未熟な存在です。成人するまでまだ10年以上かかります。成人したからといって社会性が完全に身につくわけではありません。そう考えると子どもたちが大層なことを言っていても中身は別物だと捉えてあげないとです。このように急がず慌てず、各年齢の大切なものを保障されて育った子どもたちは

赤ちゃんがそうであったように、まずは自分本位の主張をします。一見わがままと判断されがちな子どもたちの言動、それにも子どもなりの意思があります。その意思に向き合い少しでも受け止めてあげることで満たされていきます。自分が満たされ肯定される経験をしてきた子どもは次に他者、友だちを肯定できるようになります。そうすると自分自身をも肯定することができるようになるのです。まずは自分なのです。


今日はここまでです。

それではまた。